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二及の石垣

二及の石垣_c0168815_411428.jpg


勤務地をウォッチングして気になっていた石垣。頭大から握りこぶし大の石を積上げている。石材はチャート。ここまで小さいと崩れやすい。いつも直しておられる。勾配もきついのだが荒れてはいない。こんな農業をしている人の地で働くんだって気を引き締めたこと、ふと思い出した。


Commented by hashigo-1028 at 2008-02-19 04:51 x
二及・・ひょつとして西予市三瓶町のことですか?
もし、そうだとして・・勤務地?とは?
小学校くらいしか思いつきませんが・・・
愛媛・南予のご出身ですか・・
私は、二及生まれです。限界集落になってしまいました・・ 
Commented by ta-ma at 2008-02-19 20:21 x
hashigo-1028さま
二及出身の方とのこと。コメントありがとうございます。
私は小学校の勤務ではありませんが西予市宇和出身で自宅から朝立に通っております。
三瓶の皆様、お元気ですよ。
数字の上ではほとんど準限界集落(一部は既に限界集落)かもしれませんが、風景を形成している柑橘だって鳥より先に収穫しているのは65歳以上の方の活躍あってだと思います。
この石垣も崩れたらすぐ直されている。(長早に行く大カーブのところの石垣です)
実は限界集落の盲点は今の40・50代の人の肉体労働力の限界が今の65歳以上の方より早いことのほうが問題という意見もあります。機械依存症でサラリー依存率が高い人は肉体的経験が不足しているという指摘。農林業者の後継者不足問題で発言された方がおられました。結構頷ける話です。
マラソンの福士選手を思い出しました。福士選手ごめんなさい。
経験と根性ってなかなか学べないことです。
いずれにせよ元気で自給率の高い地域を維持していただきたいなと思っております。柑橘も魚も美味しい三瓶はいいところですね。
Commented by hashigo-1028 at 2008-02-20 05:51 x
(長早に行く大カーブのところの石垣)何となく記憶が甦りました。防波堤の辺りですね。昔は、あの石垣の山の頂上に県指定の重文「お伊勢山の松」
赤松の大木がありました。松食虫で枯死したらしい。
懐かしい写真、ありがとうございます。

毎日駆け回った野も山も、泳いだり魚を釣った海も、そのままあるのに。
ほんの2~30年前まで、みんなあそこで生活していたのに・・・。
いずれ住む人が居なくななるのかと思うとなんとも言いようの無い気持になります。自分が何もできないから余計に・・・
産業だけでなく、文化も地域社会の在りかたも。国そのものも。
なんとかしなくては、田舎は潰れる。田舎が潰れたら日本も潰れる。

いろいろな事情や思いはあるものの、結果的に田舎を捨てたことになっている全国の団塊族の皆様。定年を迎えたら「卒業した中学校」の在った土地に
帰りましょう。昔の仲間が集い何かやりましょう。まだ10年残っている。

支〇長ツルオカヤストシさんは2年先輩、建設〇長シミズタダオ君は同級生です。

最後に 旧・三瓶隧道は、トンネルマニアの間で評価が高いみたいです。
被写体にはグー!。たまには、旧道で通勤してみてください。
Commented by ta-ma at 2008-02-20 19:59 x
hashigo-1028さま
コメント、情報ありがとうございます。
お伊勢山の松 皆さん知っておられました。
ツルオカさんにも見ていただきました。
シミズ○長は○務企画○長に就かれております。相当お詳しいですね。
旧三瓶隧道 時々通るんです。通勤じゃない時ですが新四国とか経塚が郷内側にあるのでちょっと寄り道するんです。
このブログでも紹介したいと思います。
個人的には三瓶隧道の三瓶側が竹の根がはってクラックが止まらないので破損したら直しにくいだろうなと心配しております。
あまり話題にあがりませんが、現況が将来耐えられるかって重要ポイントなんです。ちなみに和泉のトンネルもすごくシンプルで好きなトンネルです。
このトンネルは破損なく綺麗でした。
まだまだ市内を見て廻りたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。
Commented by hashigo-1028 at 2008-02-21 04:57 x
http://www.mafura-maki.jp/tanbo/ehime/mikame/view9.cgi
ワッ!「ともしび」の残骸があった。

小6の遠足で隧道を抜けて「山田薬師」まで。二木生小からオール徒歩で。
今の学校では考えられないことですが。但し、県道30を歩いたわけではありません。津布理の(本屋敷)辺りからショートカットできる山道がありました。現在は、歩ける状態ではないと思われますが。
全国区の近代土木遺産「三瓶隧道」を保存しましょう。

「玉手千代」さんにヨロシク。多分、橋豪(ハシゴ)で解かります。

時々プログ覗かせて戴きます。今後ともよろしくお願いします。
Commented by ta-ma at 2008-02-21 06:53 x
hashigo-1028さま
HP見ました。ありがとうございます。
結構いい評価でうれしいです。デザインも保存状況も利用率もそこそこ生きています。長さもそこそこいいですね。思わず他の通ったところを探してしまいました。通ったところ何箇所かありました。
ところでやはり専門家サイト。クラック見逃がされていません。紹介されていますクラックが大地震で震災にあったらと心配するのです。道なので復旧って瓦礫土砂除去をさします。一瞬にして復元が不可能になっちゃいます。
その前に先人の造られたトンネルは良いんだよということをもっともっと認知させなければならないですね。
南のマドンナには北の同級生が・・・・とお伝えいたします。
ツルオカさんはhashigoでどうもわかったようでした。
地元ネタはあまりカウントが伸びないのでと思っておりましたが、これを機に少し入れ替えてみます。ありがとうございました。
Commented by hashigo-1028 at 2013-09-01 08:35 x
ta-ma さん ご無沙汰です。写真の石垣の件。2年くらい前から帰省の度に何か
工事をしていることには気付いていましたが、この石垣は、今はもうありません。
国道拡幅のため、最頂部まで壊され、コンクリートに固められてしまいました。
新しい法面は孟宗竹と土留め用の萱のような植物が植えられ、工事用と農道を兼
ねたコンクリート道が付けらました。お伊勢踊りをしていた赤松の大木の元に祠
(かなり立派なものだった)が有ったのですか、近くに住む人に聞いても、今は
どうなっているか分からないそうです。残骸が残っているという人も有りました。登って確認しようと思いましたが、昔は整備されていた道も、通行不能の状態で
す。私が小学生の頃は、畳、神輿、大太鼓等を山頂まで担ぎあげ、山の登り口に
は、出店も出て、瓢箪型の小さなガラス瓶に真っ赤な「肉桂水」が入った名物を
売っていたものですが・・。山裾の海岸には、マリーナができており、他県籍の
ヨットやクルーザーが沢山繋留されていました。あそこの岸壁の石垣は「鰻」が
沢山潜んでいて、よく釣ったものです。二木生地区は、鰻も穴子も海で獲ります。川がありませんので。宇和、野村、城川の人々は信じられないでしょうが。
しかし、あそこへ船を繋留した人は給水以外の食糧の調達は、どうするのでしょ
うか?。ロケーションを考えると中途半端な施設です。
ご存知とはおもいますが、ディックに続き、スーパー「オオタニ」も閉鎖したと
のこと。夜逃げだったそうです。あの店の繁盛の度合いが、三瓶の全てのバロメ
ーターだと考えていた私は少しショックです。今まで良く頑張ったと言えるのかもしれませんが。
Commented by ta-ma at 2013-09-01 09:27 x
hashigo-1028さま
コメントありがとうございます。
三瓶ネタが激減しているので書き込みのチャンスを待たれていたようですね。すみません。
>ta-ma さん ご無沙汰です。写真の石垣の件。2年くらい前から帰省の度に何か工事をしていることには気付いていましたが、この石垣は、今はもうありません。国道拡幅のため、最頂部まで壊され、コンクリートに固められてしまいました。
国道昇格後、順次拡幅計画が進みカーブがきついところがどんどん緩やかになってきています。
>お伊勢踊りをしていた赤松の大木の元に祠(かなり立派なものだった)が有ったのですか、近くに住む人に聞いても、今はどうなっているか分からないそうです。残骸が残っているという人も有りました。登って確認しようと思いましたが、昔は整備されていた道も、通行不能の状態です。

ほとんど残ってないかもしれませんね。遺跡探検隊の血が騒いだら覗いてみます。血が騒いだらですよ・・・

>ご存知とはおもいますが、ディックに続き、スーパー「オオタニ」も閉鎖したとのこと。
閉まりました。交通網を整備すればするほど他所で買い物をしてしまう日本人。中々地元で買わない事が地元小売店を苦しめていますね。
和菓子屋さんは結構頑張られてますよ。
by you-zooo | 2008-02-06 00:10 | 身近な風景 | Comments(8)

ゆっくりした旅が出来ない男の旅の綴り


by you-zooo