祭りの頃
2008年 05月 25日
060920
しまった北海道ネタが続いた。(通勤中 北の零年を何度見たことか)
いつもの開拓の村の話。丁度この日、秋祭りの幟を立てられ始めたので気にしながら村を回っていた。社殿は長野県上諏訪の人たちが明治30年に建てた社殿を新社殿建立に伴い移築したものという。開拓使の人たちのふるさとへの想いと五穀豊穣への願いが、こんな光景を見ることで脳裏を過ぎった。コメ作りが当たり前だった人たちがコメ作りのできない地で開墾したということ想像できない。田畑って言うけれど最初は田んぼは無いんだよ、この地は。
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yuyukiki
at 2008-05-25 03:33
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北海道開拓民の苦労は並大抵ではなかったと聞きますね。
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ta-ma
at 2008-05-25 11:58
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村を捨てて夢の土地と思って行った人達も多かったようですが、酷寒の地の原野を開拓するって命をかけた事だと思います。この神社も信濃神社。長野からの人達が願いを込められ建立した神社のようです。道内は明治期の初頭から末期までの間に概ね現集落の基礎はできたようですけれど冬の長さは本州以南の太平洋側の人には想像できない長さですよね。私は9月の白い息とストーブの準備に驚いたものです。
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torisan
at 2008-05-26 18:52
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ta-ma
at 2008-05-27 01:39
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郷土の先哲に外交官退官後ブラジルに移住された古谷重綱といわれる方がおられますが気候こそ違え、夢と不安は同じだったのかなと重なってしまいました。
原野を開拓するって日本の本土じゃ律令制度確立期くらい遡るんですかね。根菜類くらいしかすぐに調達できないような土地って五穀豊穣じゃないですよね。今度北海道に行ったら開拓使のお墓もお参りしようかな。
原野を開拓するって日本の本土じゃ律令制度確立期くらい遡るんですかね。根菜類くらいしかすぐに調達できないような土地って五穀豊穣じゃないですよね。今度北海道に行ったら開拓使のお墓もお参りしようかな。
by you-zooo
| 2008-05-25 00:10
| あの日あの時
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Comments(4)