塩成の赤橋と堀切
2017年 04月 26日
南予の政治の中心が卯之町から板嶋に移った直後1610年、佐田岬半島で一番狭いこの地を削り、瀬戸内海と宇和海を結ぶ運河を造ろうとしたのが時の宇和島藩主・富田信高。
試みるも断念したという、工事現場跡が存在するというけど400年前の痕ってホントに目で確認できるほど残っているのかね。地形が変わっているのは確認できる これか!!
それにしてもこれが上手くいってたら伊達様は来なかったのかな。
by you-zooo
| 2017-04-26 00:10
| 守られている景観
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